誰のためのブログ?」に自分で答えた日

自分が読みたいやつ書いてよくない?
ブログを始めるとき、よく言われるのが「まずペルソナを決めよう」ってやつ。
たとえば「30代女性・独身・都内勤務・SNSはインスタ中心」みたいに細かく設定して、ターゲットに刺さる記事を書こうっていうアレです。
でも、あらびき論ではあえて言いたい。
ペルソナは、自分でいい。
というか、「自分じゃないと無理だ」と思ったんです。
なぜなら、自分の中に湧いてくる「これってどういうこと?」「知らなかった…!」っていう感覚って、
結局“他人の役に立つタネ”になることが多いから。
むしろ、自分が気になってないことって、たぶん書いても響かない。
それに、こんなことないですか?
「あのとき気になったこと、あとで調べようと思って忘れてた…」
「思い出したいのに“あれなんだっけ?”がモヤモヤ残ってる…」
これ、めっちゃある。
だからこそ、ブログというかたちにしておくことが、ひとつの“思考の記録”になるんじゃないかって思ったんです。
記事にして残しておけば、後で見返せるし、そのときの主観も含めて深掘りできる。
しかも、書いてるうちに「そういえばこれも気になるな…」って、派生していくんですよね。
そして今は、情報が溢れすぎている時代。


とりあえずブックマークしたものの、どこに保存したか忘れる。
スクショしたのにカメラロールで行方不明になる。
そんな“情報の迷子”を防ぐためにも、自分の「知りたい」を、自分のブログにストックしておくのは理にかなってる。
つまり、「自分をペルソナにする」っていうのは、ただ楽だからじゃなくて、“必要なときに必要な情報にアクセスできるようにする”ための一番ナチュラルな方法でもあるんです。
書くテーマは“あらびき”だけど、軸はある



4カテゴリで世界を整える、それがあらびき流。
「好きなことを好きに書く」とは言っても、ブログで発信する以上は、なんでもありにはしたくない。
あらびき論では、最初からテーマを4つのカテゴリに絞って書くことに決めています。
とはいえ、ジャンルに縛られて窮屈になる感じじゃない。むしろ、その逆。
「自分の中に湧いた問いやモヤモヤを、どの視点から書くか?」
それを自然に整理できる、ちょっとした“地図”のようなものなんです。
書く前に「どの棚に置こうか?」と考えるクセ
たとえば、ふと「ブログって今どうなってるんだろう?」と思ったとき。
このテーマひとつとっても──
仕組みや流行の背景を掘り下げれば →《考察・視点》
「オワコン説」と数字的に向き合えば →《学び直し・知識》
自分の実践として語れば →《ブログ運営・収益化》
日常との付き合い方として展開すれば →《日常・こだわり》
みたいに、ひとつの話題がいくつもの切り口に分岐するんですよね。
そう考えると、このカテゴリ設計は“枠”というより“レンズ”みたいなもの。
だからこそ、思いついたネタも無駄にならないし、「これ、後日あっちのカテゴリで展開しよう」といった分割もできる。
見える世界を整理して、再構築するツール
この4カテゴリって、言い換えるなら、
- 「自分の考え(analysis)」
- 「知識の棚卸し(learning)」
- 「暮らしの感覚(daily)」
- 「実験と検証(monetization)」
みたいに、“自分の世界”を分解して見直すための分類法でもあるんです。
好きに書いているようで、自然とバランスも取れるし、記事数が増えてくるほど「網羅性」も見えてくる。
そして何より、「あ、あのネタこのカテゴリに置いとけばよかったかも」
みたいにあとで振り返ることもできるのが地味にありがたい。
つまり、あらびき論のカテゴリって、書くためのルールというより、思考を見える化するための“ゆるい枠組み”なんです。
サクッと読めて、じんわり残る。これが理想。



タイパ重視の時代だからって、手抜かんよ。
最近のネットって、「タイパ(タイムパフォーマンス)」が何より重視されるようになってきましたよね。
動画はショート。記事は結論ファースト。要点だけ知りたい人が増えてる。
でもそんな時代だからこそ、「読むこと自体がストレスにならない」ブログってすごく大事だと思うんです。
長文が偉いわけじゃない、と思ってる
「SEOには1万文字以上が効果的」って、よく言われます。
たしかに、すごく丁寧に書かれたロング記事には説得力があるし、ちゃんと読めば勉強にもなります。
でも、正直な話──
目次の時点で「うわ、読むのしんど…」ってなること、ありません?
これはもう、完全に個人の好みなんですけど、あらびき論では「無駄なく、でも余白を残す」くらいの文字数感が好きなんですよね。
だから基本は、1記事2000文字前後。
スッと読めて、「あ、ちょっと視点変わったかも」と思えるくらいの密度を目指してます。
とはいえ、2万文字超えも“仕込み中”
もちろん、長文を否定してるわけじゃありません。
むしろ、「本気で伝えたいこと」「深く掘り下げたいテーマ」があるときは、それに見合うだけの分量でガッツリ書きたい。
実は今、2万文字超えのアフィリエイト記事を2本、じっくり準備中です。
しかもそれは、このブログの稼ぎ頭になるかもしれないと考えている大切な記事。
どちらも、しっかり自分で使って、本気でおすすめできるサービスだけ。
だからこそ、あえて力がついてきた後半(たぶん80記事目以降)にアップする予定です。



焦って出すものじゃない。納得して出すから意味があるはず。
生活は困らない。でも、だからこそ書けることがある





会社員の強みは“焦らなくていいこと”なのよ。
このブログが今すぐ稼げなくても、生活に困ることはない。
だからこそ、「これは面白い」「書いてて楽しい」って思えるテーマを選べるし、“手応えがあるスタイル”を自分で検証できるっていう強みがあります。
実際、ロング記事が正義かどうかなんて、検証してみないとわからない。
成功してる先輩たちが言ってるから正しい…とは限らないのがネットの世界。
だったら、自分で試して、自分なりの結論を出してみたい。
あらびき論は、「サクッと読めて、じんわり残る」ことを最初の基準にしつつ、時には気合いの“特濃ロング”で勝負する。
そんなスタンスでいきます。
自分をネタに、他人の役に立つ。不思議な循環



あとで見返すために、今の気持ちは“あらびき”のまま残しておきたい。
ふとしたときに湧いてくる気持ちや疑問って、案外、翌日には忘れてしまっている。
「あれ…昨日なんか気になってたんだけど、なんだっけ?」
そんな経験、たぶん誰でもあるはず。
だからこそ、今の気持ちを“そのままの温度感”でブログに残すってすごく意味があると思います。
あとから読み返したとき、「このとき、自分こういうこと考えてたんだな」ってわかるだけで、ちょっとじんわりする。
…まぁ、卒業文集とか日記みたいに、
「なんでこんなこと書いてたんだ自分…」ってなることもあるけど、それすら愛おしいんじゃないかと。
自分ペルソナ=自己満足じゃない
もちろん、自分をペルソナにするって聞くと、「それって自己満じゃない?」って思う人もいるかもしれない。
でも、そこは意識しています。
“タメになるように見せない、タメになる話”。
あくまで主観から始めるけど、その中で「同じように感じてた人」や「あとから必要になる誰か」の役に立つかもしれない。
そこを狙いすぎず、でも置き去りにもせず、“じわっと届くライン”を探るのがこのブログのバランス感覚なんです。
- だからこそ、完全に日記にはしない。
- でも完全に他人のためだけにも書かない。
- そのちょうど真ん中くらいで、「自分の違和感」をひとつずつ言葉にしていく。
そうして積み重ねた100記事の中に、誰かの“気づきのきっかけ”や“探してた言葉”が紛れていたら、それで十分です。
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